「AIに、祈れますか?」

変化の潮流の中で問い直される人間の本質

近年、AI(人工知能)の進化には目覚ましいものがあります。私たちの日常生活や働き方が劇的に変わっていく中で、ふと「人間とは一体何なのか」「人間にしかできないこととは何なのか」という問いが、かつてない切実さをもって浮上しています。
情報の処理や効率化を機械が肩代わりする現代は、皮肉にも、私たち自身の人間らしさを再発見する大きな転機となっているのではないでしょうか。

AIという新しいテクノロジーを前にした今、大本のみ教えがいかなる指針となるのか、あらためて考えてみたいと思います。

科学の進歩は「神さまのご経綸」

出口王仁三郎聖師は、科学の進歩を

「完全なミロクの世を実現させるには一切の物が必要である。また今日の進歩した科学も必要である。之(これ)は神様が世界を一つにする為に、通信なり新聞なり交通機関なりも出来たのであつて、三千年苦労なされたが、時節が到来して今日の物質文明の世が出来たのであります。」と、神さまが世界を一つにするための準備として肯定的に捉えました。しかし同時に、「今や世界の文明は日に月に進歩する一方である。所謂物質的文明の壮年時代であり、……科学的智育も発達してきているが、それとは反対に、『精神的文明』は日に日におとろえている。……総て精神的神教的文明の相伴はざる物質的文明は、最も恐怖戦慄すべきものである」

と、それを支える精神的な柱が伴わなければならないことを繰り返し説きました。

「知能」を持つが「霊性」を持たない

まず整理しておきたいのは、AIが持つ「知能」と、人間が神さまから授かっている霊性の違いです。AIは膨大なデータを学習し、論理的な答えを導き出すことに長けています。しかし、大本の教えに照らせば、それは精霊内分(意志・智性、神さまから与えられた愛と信)ではなく、外分(物質的記憶や知識)の集積に近いものです。

聖師は、「人間の本体は肉体ではなく精霊(霊魂・心)である」と示しました。この精霊こそが、神さまから授かった「分霊」であり、知・情・意の源泉です。

AIには、自らの意思や感情に基づいて行動を始める自発性はありません。また、学問的な知識と、物事の判断力とは全く別問題であり、実社会のさまざまな問題に当たって何が正しいかを見極める力は、神さまから授かった直霊がしっかりしているかどうかによります。

AIは論理を組み立てる「技術者」のような役割は果たせますが、愛や慈悲、真理を感じ取り、それを行動の指針とする「霊性」は、人間にのみ与えられた固有の働きです。

「心の時代」への転換点

AIによって社会の効率化が進むということは、私たちが「単なる事務作業」や「生存のための労働」から、より創造的で精神的な領域へと目を向ける余裕が生まれる可能性を意味します。これこそが、大本の説く「霊主体従」の社会への大きなステップとなるのではないでしょうか。
今までの世の中は、物質的な豊かさや目に見える成果を最優先する「体主霊従」の傾向が強くありました。

しかし、物質的な面での充足が容易になればなるほど、人々の関心は「心の安らぎ」や「生きる意味」へと向かわざるを得ません。

AIが「形」や「効率」を整える道具として活用され、人間がその「心」を司ることで、物質と精神が調和したみろくの世への準備が進んでいると捉えることができるのではないでしょうか。

人間の心を映し出す「鏡」

大本には「顕幽一致」、すなわち現界と霊界は合わせ鏡のような関係であるという教えがあります。この合わせ鏡の関係は、AIと人間の関係にも当てはまります。
AIは、人間が提供したデータによって形づくられます。もし私たちが、自分さえ良ければいいという利己主義の想念でAIを利用すれば、それは格差を広げ、対立を煽る道具となってしまうでしょう。
逆に、世のため人のために尽くす愛善の心でAIを用いれば、それは地上天国を建設するための力強い助手となります。
つまり、AIの進化は、私たち人類の「心のあり方」を白日の下にさらけ出す強力な鏡となっているのではないでしょうか。AIという存在を通じて、私たちは自分たちの内に潜む傾向や可能性を、より明確に突きつけられています。

今こそ、神さまから授けられた直霊を働かせ、身魂を磨くことが、重要な意味を持つ時代に突入したのではないでしょうか。

神さまのみこころのままに

では、私たちはこの複雑な時代をどう生きればよいのでしょうか。

AIは過去の情報の積み重ねですが、人間の直霊は、今、この瞬間の神さまの内流を受け取ることができます。理論や理屈を越えて、ふと感じる「なんとなくこれが正しい」という直感や、他者を思う温かな感情。これらはAIには到底及ばない、神さまと人間を結ぶ霊的な働きの表れです。

「惟神霊幸倍坐世」(神さまのみこころのままに)という祈りの言葉を日々の生活の軸に据え、一瞬一瞬の選択において神さまのみ心に沿って生きる。

こうした「神さまとともに歩む生活」こそが、AIという知能の波に飲み込まれず、人間としての尊厳を保つ鍵となります。

現界という「養成所」で磨く霊性

AI時代の到来は、決して人間を疎外するものではありません。むしろ、目に見える形や効率にとらわれてきた人間が、本来の役割である「天地経綸の司宰者」としての使命に目覚めるための、神さまによる大きな「お仕組」であるとも考えられます。

大本では、「現界は天人養成の苗代(なわしろ)である」と教えられています。私たちはこの肉体を持っている短い現界人生において、苦労や喜び、そしてAIのような新しいテクノロジーとの出会いを通じ、魂を磨き上げていく修行の途上にあります。

AIがどれほど進化しようとも、神さまへの感謝を捧げることができるのは人間だけです。
日常の何気ない生活の中にこそ、神さまの光は満ちています。ほんのひととき手を止め、呼吸を整え、自分自身の内なる声に耳を傾ける。そんな静かな日常の積み重ねが、やがて世界全体を明るく照らす大きな光となっていきます。

AIを「神さまが与えてくださった現代の筆や墨」として捉え、それをどのような想いで手に取り、どのような文字を綴っていくのか。その一点にこそ、私たち一人ひとりの身魂のあり方が問われているように思われます。

筆や墨そのものに善悪はなく、それを動かす心こそが、地上天国への道を拓く力となるのではないでしょうか。

東海教区特派宣伝使 前田茂太