私は二年前から、周囲の誘いで静岡分苑の短歌会に参加しています。毎月二首ずつですが、参加当初はなかなか歌材が見つからず、言葉選びに頭を悩ませました。表面的な歌にとどまり、初心者ながらに「自分が感じたことと何かが違うな」と思ったものです。
「歌は歌材が重要。しっかり見、しっかり感じる。そして理屈を抜きに、見たものを見たままに詠むことが大切です」これは短歌の師が、短歌会の度におっしゃっていることです。
はじめは旅行など目につく出来事ばかり追っていたのですが、「しっかり見、しっかり感じる」を頭の隅に置き続けるうち、植物の成長や身近な人の何気ない言動など、本当にちょっとしたことにも自分の心が動くのだという発見がありました。
三十一文字という限られた言葉の中では、「楽しい」「嬉しい」といった誰もが想像できる言葉は自然と入れることができなくなります。毎月短歌会に参加させていただくうちに、初回に比べると虚飾のない言葉選びを心掛けるようになりました。
この「しっかり見、しっかり感じること」は、普段の生活にも大切なことではないでしょうか。短歌を作るようになって二年、仕事をしていても相手が何を求めているのかをよく観察するようになりましたが、同時に人の細やかな心遣いや言葉の端に表れる優しさにハッと気づかされることも増えています。
大本は祭事だけにとどまる宗教ではなく、茶道、能、陶芸、短歌といった芸術活動、農、正食などの食の安全への配慮、エスペラント活動など多岐にわたり、自分にはなかなか取り組めない分野も多いなと思います。ですが短歌に触れるようになってから、大本の活動には一見しただけではわからない意味があり、大本の精神性がそこにあるのではないかと考えるようになりました。
近年は日本だけでなく、世界でも宗教を持たない人が増えているという話を耳にしたことがあります。平成年代に生まれた私の友人も、葬祭を除くと日常では特定の宗派に所属・信仰している意識はないという人が多数派です。そこに特に驚きはありませんが、そうした中で生活していると、「大本を信仰していることや、大本がどのような所かを、どう話せばいいのだろうか」と考えることがあります。
大本はとても良い所だと思っています。長年の積み重ねで感じてきた、感覚的な所をうまく言葉にできず、もどかしい思いをすることもありますが、まずは素直に、自分のできる活動から始めさせていただくことで、自分の中に確かな言葉が生まれてくるように思います。
今年の八月六日に大本宣伝使を拝命し、教主さまよりみ手代をご下付いただきました。
自分の心の修養はまだまだですが、しっかりと見て感じ、「あれでなら」と信頼に足る宣伝使にならせていただくべく、努めていきたいと思います。
静岡分苑 谷田 淳子
