新しい環境に身を置くことになったり、思いもよらない形で、置かれた立場や役割が変わったり。人生には、自分の願いとは裏腹に、不本意な状況に立たされることがあります。
そんな時、私たちの心には「これからどうなるのだろう」という取り越し苦労や、「なぜ自分だけが」という不満の雲が、なかなか晴れずに湧き起こります。
けれども、大本のみ教えは、その暗雲を突き抜ける一条の光を、私たちに示してくれています。
まず、私たちが今いるその場所は、決して偶然や罰で与えられたものではありません。
それは、魂をより輝かせ、鍛えるために、神さまが用意してくださった「学びの場」といえます。
今の苦労は、「苦労のための苦労」ではなく、魂を成長させるための「磨き砂」です。
また、まだ見ぬ未来を不安に思う「取り越し苦労」は、神さまへの不信に繋がると戒められています。私たちに自由になる時間は、過去でも未来でもなく、唯一「今」という刹那しかありません。
「今、この瞬間」に真心を込め、目の前の仕事や務めに精一杯打ち込むこと。その積み重ねこそが、確かな未来を築く、唯一の道となるのではないでしょうか。
もし今の状況が不本意なものであっても、もっと悪い状況になるはずだったものを、神さまがこの程度に抑えてくださった、大難を小難にして下さったと、善意に解釈することで、心に平安が訪れます。
もし、どうしても行き詰まり、一人では抱えきれない不安に襲われたなら、どうか素直に、神さまにお縋りしてみてください。理屈で解決しようとするのではなく、赤子のような心で祈る時、目には見えない救いの力が、必ず働いてくれるはずです。
どんなに厳しい冬の寒さの中にあっても、必ず春は巡ってきます。
「一隅を照らす」とは、もともと「自分に与えられたその場所で、誠心誠意を尽くす者こそが、真に尊い」という意味を持つ言葉です。
望まぬ環境にいたとしても、そこで腐らず、自分にできる「最善」を尽くすこと。その一つひとつは、大きな出来事である必要はありません。目の前にあることを丁寧に果たす、その地道な日々の積み重ねにこそ、真の光は宿るのではないでしょうか。
今いる、その持ち場こそが、あなたに与えられた「一隅」です。その一隅を、誠の心をもって照らし続けること。それはやがて、隣の一隅へ、また次の一隅へと灯をともし、大きな救いとなって、静かに広がっていくのだと思います。
心配は必要ありません。
神さまは、耐えられない荷物を、決して負わせられません。
まずは深呼吸をして、感謝を捧げ、日々を丁寧に重ねることから始めてみませんか。
大本の教え
「現界は、天人になるための養成所だと思います。養成所ですから、何もしないではいけない。やはり勉強をしないといけないでしょう。神さまは、人間が立派な天人になれるよう、いろいろな目にあわせられるのだと思います。現界では、苦労があって当たり前、と私は理解させていただいています。そう思えば何かあっても頑張れます」 (『つるかめ抄』・教育編 出口聖子著)
「取り越しの苦労もなさず、過ぎこしの苦労も思わず、刹那を歩む」 (『大本の道』 出口王仁三郎著)
「すんだことは忘れることだ。くやしかったこと、恥ずかしかったこと、恐ろしかったこと、そんなことは、みんな忘れてしまって、ただ、より賢くさえなっていればよいのだ」 (『信仰覚書』第四巻 出口日出麿著)
「どんなに行き詰まっても、一生懸命に拝めば何とか道は拓けるものです。この宇宙には祈れば直ちに神さまに通じる仕組みがあります。それは、どこかにあるようなもので、人間の目には見えない細い糸のようなものかも知れませんが、何とも力強いものであることをわたくしは体験しています」 (『寸葉集』巻一 出口直日著)
「どんな事件に出会っても、決して、これにショゲかえって悲観や絶望をしてはいけません。『これも何かの神さまのご慈悲である。大難を小難にまつりかえてくださったのだ』と、よい方に解釈して、有難く嬉しく日を送る心になりさえしたなら、もう天国はその人の所有となっているのであります」 (『信仰覚書』第三巻 出口日出麿著)
東海教区特派宣伝使 前田 茂太
